輸入販売カタログ


2019年度 卸業者様用クリスマスカタログ



取扱いメーカーご紹介


エミールライマン(Emil Reimann)

会社の歴史

エミール・ライマンがパン焼き職人になったのは、彼が製パン業名門出身という血筋のせいといえるでしょう。記録に残っている限りでは、ライマン一族の最初のパン焼き職人は1716年にロスニッツで生まれた彼の曽祖父ヨハン・ゲオルク・ライマンでした。
エミール・ライマンは1871年ケムニッツのゲルスドルフ村で誕生しました。
彼は義父のもとでパン焼きを習い、リヒテンシュタインのザイデル師匠と彼の生まれ故郷ゲルスドルフのツェルツィガー師匠に師事し知識を深めました。
学友たちと行った放浪の旅をした時間と積んだ経験が、後に設立したパン工場「ユニオン」に決定的影響を与えました。
若きエミール・ライマンは南ドイツ、シュトラスブルク、フルダを通りエルバーフェルトまで旅しました。 この地で1891年の初め、パン製造会社の女性オーナーは、明るい澄んだ瞳とエネルギッシュな風貌を気に入り彼を雇いましたが、彼女の期待は決して裏切られませんでした。
まるで自分の会社に精を出すかのような熱心な働きぶりで能力のある従業員は初めてでした。故郷から遠く離れたこの地で、先進的な仕事の仕方に影響されて近代的パン工場を建てる最初の計画を練りました。彼の頭にシュトレン製造の最初の計画もありました。
自らの才能に支えられ、ますます改善される技術的可能性を駆使して、製造と味と栄養価に関してできる限り完璧なパンを人々に届けたいと思いました。
「最高のものとは、人々に毎日食べてもらうパンとして提供するために十分美味しいということである。」 というのが彼の原則でした。
数年後ついにエミール・ライマンはドレスデンとケムニッツにパン工場を取得するまでになり、1904年ケムニッツの製パン製菓展示会で彼にとって最初の賞を受賞しました。
1920年2月24日ケムニッツの工場の土地に関する契約が交わされました。Am 24. Februar 1910 wurde der Kaufvertrag über ein Fabrikgrundstück in Chemnitz abgeschlossen.
「ザクセンパン工場ユニオン」会社は1910年4月26日に設立、商業登録されました。夕方17時30分には3000個のパンが売り切れるほど評判が良く、これが最初の業績でした。
エミール・ライマンの新工場では製造過程の清潔な環境を人々に理解してもらうため、当時としては画期的な工場見学を実施しました。この取り組みは功を奏し「ユニオン」はますます発展しました。
エミール・ライマンは心の広い人間でもありました。従業員の家族の心配ことや喜びに積極的に関与して、苦境にある時は喜んで手助けしました。苦境をできるだけ緩和するために、今日のエミール・ライマン記念財団である記念基金を設立しました。研究所を建設して作成過程と購入した原材料を監視するというエミール・ライマンが長年抱いていた願いは、1923年5月に成就されました。かつての陽気な旅職人はわずか15年の間に誰にも真似されない工場を作り上げました。「ユニオン」は彼が生きた時代最大のパン菓子製造会社となり品質も当世最高でありました。エミール・ライマンという名前は顧客や同業者の間では響きの良いものとなり、彼の意見は至る所で評価されました。


ライジーファー(Leysieffer)

1909年創業のライジーファーがドイツの地方都市オスナーブリュックで有名になったのは、高級プラリーネ、チョコレート、マジパンの卓越した組み合わせと創意工夫された名物ケーキによるものです。
しかし、ドイツ全国で注文の多い食通がその特別な美味しさに出会ってからも久しくなります。
この伝統ある家族経営企業はドイツ全国で数々のケーキ店、ビストロ、カフェを経営する一方、高級食品店、デパート、ホテルにも製品を卸しています。
1985年にライジーファービストロ第一号店をドイツ北部ジルト島にある町ウェスターラントにオープンし、
斬新なレストラン業の概念を発展させてきたことで持続的に成長してきました。
1989年にドイツ専門卸業界より授与された「ハンブルク賞」や1995年のデュッセルドルフ地元賞「活気ある都心」の表彰はこの新しいビストロの革新力を評価したものです。
今日ライジーファーの店舗はデュッセルドルフの目抜き通りケーニヒスアレー、ドイツ国内の空港、ベルリンのフリードリッヒ通り等にあります。

1909年 ケーキ製造マイスターのウルリヒ・ライジーファーと妻のエミリエがオスナーブリュックの中心
     地テーブル6卓のライジーファーケーキ店カフェ第一号を開きました。
1912年 現在の所在地オスナーブリュッククラーン通り41番に引越し。製造工場とカフェが拡張される。
1936年 ライジーファーの店で最初のプラリーネが製造される。
1948年 カール・ライジーファーと妻のウルズラによる再建が始まる。
1950年 新しいケーキ店カフェの開店。最初の天使のプラリーネ(ヒンムリッシェンプラリーネ)が製造される。
1964年 生産能力逼迫によりマリーエン通りへの製造工場移設が必要となる。そこで通信販売も開始。
1969年 アレックス・ライジーファーが会社に入る。
1972年 地域を超えて天使のプラリーネが人気となり、世界中で法的に保護されるようになる。
1973年 オスナーブリュックーアッテーでライジーファーの製造と管理が始まる。
1978年 ドイツ全土でライジーファーの支店を開店し始める。 現在ドイツ国内でケーキ店19店舗、ビストロカフェは6店舗。
1993年 4代目ヤン・ライジーファーが働き始める。
2009年 インターネット販売開始(www.leysieffer.de)